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2025-07-01

学校法人 関西金光学園は令和8年に創立100周年を迎えます

重要なお知らせ

 

 

 

 

 

学校法人  関西金光学園  『建学精神』

我々が天地の大徳によって生かされ、家族をはじめ多くの人々の祈りによって育てられていることの自覚と感謝の念から発して、その自分を大切にし、将来世のお役にたつ人間となって、世界真の平和達成と文化の発展のために貢献し、そこに生き甲斐と喜びとを見出す人でありたいという念願にたって教育の徹底を期する。

  

 

学校法人 関西金光学園は、令和8年に創立100周年を迎えます。

大正15年の創立から100年の歴史を重ねる中で、学園の先人たちが成そうとしてきたことは、やはり本学園の『建学精神』に込められているのだと、改めて意識させられます。

 

私どもは、現在運営する大学1校と高等学校3校、高校併設の中学校2校の全体を束ねる言葉として、時に「お道の学園」という言い方をいたします。この「お道の…」という表現は、どちらかと言えば世間一般に馴染んだものではありません。それを敢えて使う意味は、本学園が金光教とのご縁につながった学園であることが、少なからず関わっています。「お道」とは金光教そのものを指す言葉だと言えますが、少し意訳すれば、金光教で語られる「人の履むべき道」を大切なものと位置づけ、そこに根差した教育の展開を願いとした学園、という意味合いになるでしょうか。そういう学園ですから、前述の建学精神も金光教の中核的な教えをもとに策定されています。

 

ここで改めて申し上げたいのは、本学園のベースには、宗教的な教えが流れているということです。宗教的な教えとは、人間の智恵や力を超えて示されたものと捉えられ、人間の側が敬意をもってそれを受け止めていく、そういう理解の仕方をする側面があります。従って、宗教と関わりある学校であるがゆえに、その教えを全面的に押し出すといった単純なことではありません。本学園の場合、金光教の教えをベースに置いていますが、それは宗教的な教えに、人間が生きるための普遍的な価値へと高められていく可能性を見て、その教えを受け止めようとしているわけです。

今、日々届けられる新聞を広げて端々まで目を通してみますと、社会的、人間的に解決すべきこんなにもたくさんの課題がまだ山積みになっているのかと、国内外を問わずその問題の多さに追いつかない様が想像され、暗澹たる気持ちにさせられます。だからこそ、社会の荒波の中にあって自分がどう生きるか、その行動や展望の基準が必要になるのだと思わされます。私どもは宗教的な教えをもとに、そういう確かな基準を備えた人材の育成につなげていくことが、本学園として取り組むべき課題だと考えています。

 

では、本学園の建学精神には何が表明されているのでしょうか。ここまで述べてきたことを踏まえつつ、建学精神を丁寧に読みほぐせば、以下のように表現できるでしょう。

  

私たちは自分一人の力で生きているわけではありません。食物、水、空気などに恵まれ、また家族をはじめ多くの人のお世話になって生きています。これは自分が生かされている存在であることを、自然に物語る事実です。しかし、その自覚がある人もいれば、ない人もいます。自覚がない人には感謝の念はありません。自覚があれば、自ずと感謝の念がわいてくるはずです。  

無条件に恵まれ、与えられていることを、金光教では「天地の恵みの中で、生かされて生きている」と表現しますが、では、私たちはなぜそのように恵みを受けられるのでしょうか。それは、同じく金光教で「人はみな神の氏子」と言われている通り、誰もが「神の氏子」なるがゆえに、無条件に平等に恵みを享受することになるのです。それはまた、私たち一人ひとりがみな、大切な存在であることを示しています。誰一人、大切でない人はいません。そこに気づくことが、自分を大切にし、人もまた同様に大切にすることにつながります。 

そうした人間観に立って、私どもみなが世のお役にたつ人間となり、世界真の平和達成と文化の発展のために貢献し、そこに生き甲斐と喜びとを見出せるような人でありたいと念願する、そういう地平から教育の徹底を期したい。

 

本学園では、ベースとなる宗教的な教えから、今日の社会に対して意味のある人間の在り方を導き出し、その内実を備えた人材の育成に寄与することを創立以来のテーマとしてまいりましたが、学園として100周年を迎えるに当たり、それを学園に関わる一人ひとりに与えられた使命と捉える姿勢を闡明して、ここからの教育活動と学校運営に具現し、学園の歩みが進められることを願っています。「お道の学園」とは「人づくりの学園」を創造していくこと、それこそが私どもが共有する願いです。

 

 

学校法人 関西金光学園 理事長 湯川 彌壽善